アメリカ合衆国
主要言語 | 英語 |
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プログラム期間 | 7〜8月出発、5〜6月帰国 |
現地研修 | あり(希望者対象) ※英語応用力テスト結果に応じて、研修受講条件にて合格となる場合があります |
- 特色
アメリカ全土に派遣される可能性があります。気候や生活様式は地域によって大きく異なります。移民から成り立っている歴史的背景の国であり、今なお多くの移民を受け入れていますので、異なるバックグラウンドを持った人々で社会を形成しています。日本からの留学生も多く、まったく日本人がいない環境に派遣されることは稀です。
特にアメリカの学校ではクラブ活動が盛んに行われており、派遣生も通学に支障のない範囲内で興味のある活動に参加することが可能です。- ビザ
J−1ビザという交換留学生用のビザで渡航します。
東京大使館または大阪総領事館にて留学生本人の面接があります。
※ビザ手続きは変更となる可能性があります- その他の留意点
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- 特に日本での成績基準および英語応用力テストの基準が高いです。
- 移民を多く受けれている国ですので、派遣地域によっては特定の人種(ヒスパニック、アジア系など)が多い場合があります。
- 滞在先が決定するのは渡航直前になるケースが多いです。
- 現地研修を受講しない場合、派遣される州の学校開始日に併せて渡航となります。州によって開始日が異なるため、渡航日が決定するのは出発直前となります。
体験談(アメリカ合衆国)
滞在地域名とその様子
私はアメリカのニューヨーク州の中央部にあるシラキュースという都市に留学しました。人口は14万7000人という比較的に大きな都市。シラキュース大学というバスケットがとても強い大学があります。また、トムクルーズの出身地でもあります。治安が良い商業都市で、週末は周辺の地域からたくさんの人が買い物にきます。学校は生徒が1500人という大きさでした。
ホストファミリーの構成、ホストファミリーとの過ごし方
60代のファザーとマザー、私の三人家族でした。マザーは訪問介護の仕事をしていてとても忙しい人なので、ファザーが主夫としてご飯を作ったり、洗濯をしたり家事をしていました。家のすぐ近くにはホストの子どもファミリーが住んでいたのでよく一緒に買い物をいったり、食事をしたりしました。ホストシスターやブラザーはいませんでしたが、ホストの孫が同じ学校に通っていて、仲良くしていました。
私のファミリーは、基本的に夜ご飯は家族みんなでそろって食べるという決まりがあったので、その時間を大切にしていました。平日は学校から戻るとファザーとスーパーに夕食の買い出し。それからファザーが夕食を作る間にマザーに宿題を手伝ってもらっていました。夕食後は、リビングで三人揃ってテレビを見たりして過ごすことが多かったです。休日は家族でショッピングにいったり、家の掃除をしたり、教会へ行ったりしました。
現地で一番印象に残っているエピソード
日本に興味のある友達ができたときに、彼女は日本では女の子の名前を”?ちゃん”というように呼ぶことを知っていて、私のことを”アヤチャン”と呼ぶようになりました。そこからどんどん私のことを”アヤチャン”と周りの友達が呼ぶようになったのですが、そのあだ名がいつのまにか”チャン!”に。長かったのですかね(笑)”アヤ”の部分が気づいたら省略されていました。それから仲良しの友達グループができ、そのグループ名はなんと”Chans"となっていました!また、記憶に残っているのがChansの仲間たちからもらったビデオレター。DVDにして、くれました。すごくうれしくて、日本に帰ったばかりのときは毎日観ていました。そして私が帰国するときは、空港までみんなでお見送りにきてくれました。みんな、自分が身につけていたネックレスやブレスレット、帽子などを空港で私にくれました。最後の最後まで帰りたくなさすぎて、ぎりぎりまでみんなといましたが、アナウンスで名前を呼ばれ飛行機に乗る最後のひとりになっておりほかの人たちを待たせていました(笑)
本当にいい友達を持ったことが私が一番、留学してよかったことだと思っています。そしていまでも、彼女たちとは毎日メールをしたりフェィスタイムをしたりします。
高校留学を検討中の皆様へ、自分の派遣国のお勧めポイント
アメリカはいろいろな人種の人たちが住んでいて、宗教や価値観などもさまざまです。そのような環境のなかで一年間生活をしてわたしは、言語力はもちろんですが、周りの人のことを考えて行動することやそのなかで自分の思っていることを堂々と発言する力や自分は自分という考え方が身に付き、留学前に比べてとても自分自身に自信がついたと思っています。
藤本あや 2012年度アメリカ派遣生
福岡雙葉高等学校2年時にEIL高校生交換留学プログラムにてアメリカのニューヨーク州に留学。帰国後3年生に復学し、AO入試にて立命館アジア太平洋大学に合格。(写真左)